天理教の葬儀は、仏式とはちょっと違います。
「出直し」という独特の死生観があったり、焼香の代わりに玉串を供えたり、拍手をしたり。
初めての人は「わわー!」ってちいかわのように戸惑うかもしれません。


ふざけてない?

いえいえ、いたってまじめですよ
この記事では、信者ではない天理教二世の私が、実際に祖父の葬儀を体験して感じたことを交えながら、天理教の葬儀の流れや参列時のマナーを紹介します。
そもそも、天理教ってどんな宗教?
ここで一度、かんたんに説明。
- ●天理教は、江戸時代の終わりに奈良で生まれた、日本発祥の宗教。
- ●教祖は中山みきさま。(めっちゃ普通)
- ●目指しているのは「陽気ぐらし」——みんなが笑顔で、助け合って生きる世界。(助けられた人も助けた人も救われるって考えらしい、平和だね)
- ●神様は「親神(おやがみ)天理王命」。
- ●全国に約1万4千の教会がある。(ローソンも全国に約1万4千店舗……つまり天理教、ローソン級。)
こんな感じの、なんとも興味深い宗教なんですよ。
(→ もっと詳しくは天理教ってどんな宗教?教会育ちの非信者が正直に紹介で書いています)
私の初めての天理教式葬儀は、祖父
私の祖父は、田舎で小さな天理教の分教会を守り続けてきた人でした。
その祖父が亡くなったのは、突然ではありませんでした。数年前から介護が必要になり、婚約者を連れて挨拶に行ったときには、もう寝たきり。
だから家族みんな、どこかで覚悟をしながら、その日々を過ごしていました。
そして、ついにその時が来ました。
天理教の葬儀に参列するのは、私自身、これが初めて。
会場に着いて最初に感じたのは——「空気の、軽さ」。
悲しみ泣く人が、いない。天理教のお葬式
不思議でした。
しめやかに泣いている人が、いない。みんな笑顔で、祖父の思い出話をしている。
少なくとも、私にはそう感じました。

葬儀ってこんな感じだっけ‥?
ハテナボックスが頭の上に浮かんでる私に、その”謎”を解いてくれたのは、伯父のスピーチでした。
伯父は、明るくとにかく陽気な人。お葬式でも、いつもの調子でこう切り出しました。
「まさか、ほんとに親が亡くなるときがくるなんて、と思いました」
(↑実の親を見送る第一声がこれ。会場、思わずちょい笑い。)
そして、こう続けたんです。
「今、喜ばしいことに、長男のお嫁さんに一つの命が宿っています。もしかしたらこの子は、父の生まれ変わりかもしれませんね。そしてまた、どこかで陽気暮らしをしてくれたらと思います。」
その言葉で、私はこの空気の意味を、なるほどと理解しました。
天理教は「死」を「生まれ変わりの準備」みたいに考えるから、なんだなーと。
皆、『そうだといいよねぇ』って和やかな空気に包まれました。
その一方で私は—
『義祖父の生まれ変わりかもしれない子を宿した嫁…。アンジャッシュのネタくらい複雑だわ。オムツ変えるとき「すまないねぇ」って言われたらどないしよ。』
と、不謹慎なことを考えていました。たぶん、手を顎につけて推理してるコナンくんくらい真面目な顔で。
いや、たぶん前世の記憶なんてないんだろうけども(笑)
ついついそんなことを真面目に考えてしまうくらい、和やかな雰囲気だったんです。
天理教の死生観「出直し」——体の終わりはあっても、命の終わりはない
天理教では、人が亡くなることを「出直し(でなおし)」と呼びます。
これは、古くなった身体を返して、また新しい身体を借りて再び生まれ変わる、という考え方。魂は生き通しで、死は”終わり”ではなく、次に向かう”出発点”なんですって。
だから、天理教の人にとって——
体の終わりはあるけれど、命の終わりはない。 また、どこかで生まれ変わって、楽しく(ようきに)暮らしていくだろう。
そう思えるから、涙よりも笑顔で見送れるのでしょう。
あの”空気の軽さ”は、そういうことだったのか、と腑に落ちました。
ちなみに私は、リアリストで神様そのものは信じきれていない、信者じゃない2世なんですが、天理教の教えは素敵だなと思っていますし、この死生観についても「いいね」と素直に思います。
なんというか、命をまっとうした祖父は、笑顔で見送られるほうが気持ちがいいだろうなと思ったからです。
私自身も、「またどこかで楽しくやってるはず」なんて思ったら、悲しんでいた心が少し軽くなりました。
天理教の葬儀の流れ(仏式との違い)
天理教の葬儀は、大きく3つのパートに分かれます。仏式の「通夜→葬儀→法要」にざっくり対応していますが、どちらかというと神道を参考にしていると言われています。
流れをもう少し具体的にすると——
- みたまうつし:祭官が祓詞(はらいことば)を奏上し、故人の魂を移す。お供え(献饌)→玉串奉献→拝礼。
- 告別式:翌日に行われることが多い。玉串奉献と拝礼で故人を送り、出棺。
- 葬後霊祭:葬儀のあとも、日を追って続きます(後述)。
呼び名は違っても、「大切な人を送る時間」であることは、仏式もキリスト教式も同じですな。
※教会や地域によって進め方に差があります。喪主側になる場合は、所属の教会に確認すると確実です。
※令和6年(2024年)に天理教の葬儀のルールが改訂され、玉串奉献をしなくてよいとされました。ですが、教会によっては今も行っています。
【マナー】天理教の葬儀で、戸惑わないために
さて、ここからは実用パート。
天理教の葬儀は、仏教式とは一味違います。「参列することになったけど、作法がわからない…」という方のために、『ここだけ押さえておけばなんとかなる!』というマナーをまとめました!
| 項目 | 天理教の葬儀では |
|---|---|
| 焼香 | なし。代わりに「玉串奉献(たまぐしほうけん)」 |
| 香典の表書き | 「御玉串料」「御榊料」「御霊前」(金額の目安:1万〜3万円) |
| 避ける表書き | 「御仏前」はNG(仏教用語)。蓮の花柄の袋も避ける |
| 数珠 | 不要(数珠は仏具なので持って行きません) |
| 服装 | 一般的な喪服でOK(仏式・神式と同じ) |
| かける言葉 | 「成仏」などの仏教語はNG(後述) |
特に間違えやすいのが「数珠」と「表書き」。 数珠はうっかり持って行きがちですが、天理教では使いません。香典も「御仏前」と書かないよう注意です。
※教会や地域によって細部が異なる場合もあります。心配なときは、喪家や教会に確認すると安心です。
参列するなら、これだけあると安心【持ち物】
数珠は不要ですが、代わりに袱紗(ふくさ)があると「御玉串料」をきちんと包めて安心です。私が「持っててよかった」と思うものを、そっと置いておきます🐠
【マナー】かける言葉に注意——「ご冥福」は実はNG
これ、知らない人がほとんどだと思います。(私もこの記事を書くために調べてみて知りました。)
天理教の葬儀では、「ご冥福をお祈りします」は実は適切ではないと言われています。
理由としては、「冥福」も「成仏」も「供養」も「往生」も、ぜんぶ仏教の言葉だからです。天理教は「出直し(生まれ変わり)」の考えなので、”あの世での幸せを祈る”という発想自体が、少し合わないんですね。
避けたい言葉
- ご冥福をお祈りします
- 成仏/供養/往生
代わりに使える言葉
- 「心よりお悔やみ申し上げます」
- 「哀悼の意を表します」
※「ご愁傷様です」は、“使ってOK”説と”避けるべき”説があって見解が分かれます。天理教は死を不幸と捉えないため「避けるのが無難」とする説もあるので、心配なら使わないほうが安心です。
とはいえ、遺族も「参列してくれた気持ち」が何より嬉しいもの。
かしこまりすぎず、素直な言葉で大丈夫です。

叔母も「”ご冥福”普通に使ってた」と言っていたので、天理教界隈でもそこはあまり気にされてないみたいです。皆さまご安心を。
玉串奉献の手順——これだけ知っておけば大丈夫!
いちばん戸惑うのは、たぶん「玉串奉献」。
「玉串って、どっち向きに置くの?」「手はどう持つの?」——そんな疑問を、写真付きで分かりやすく解説します。
そもそも玉串奉献とは?
焼香の代わりに、葉のついた枝(玉串)を祭壇にお供えすることです。

しかもこれ、普段の天理教の「おつとめ(礼拝)」ではやらないので、2世の私ですら慣れていません。なんか、教会長がやってるの見たことあるなー、小さい頃やったかなー、くらいです。
当日は、父のやり方をこっそり見ながら、ドキドキしながら、見様見真似でやりました(笑)。
玉串奉献の手順
- 係の人(斎員)から玉串を受け取る。右手は枝の根元を上から、左手は葉先を下から。
- 玉串を胸の高さで持って、祭壇の前まで進み、一礼。
- 玉串を時計回りに回す。葉先を祭壇側へ向けながら、途中で左右の手を入れ替える。
- 葉先が自分側にきたら、そのまま玉串台にそっとお供えする。
- 少し下がって、拝礼する。二礼 → 四拍手 → 一拝 → 四拍手 → 一礼。





ポイント① 拍手
神式の葬儀では音を立てない「しのび手」が用いられることもありますが、天理教では音を立てて拍手を打ちます。
ポイント② 玉串の持ち方
最初に持つ手を間違えないことが大事! 右手で上から根元を持って、「左手は添えるだけ」。これであなたも桜木花道のシュートが打てるはず!(なんつって)
ポイント③ 玉串の回し方
まず時計回りに90度回す→そこで右手と左手を入れ替えて、残り180度回して、葉が手前にくる位置で止める! 間違えて一周しないように、回しすぎ注意!!笑
とはいえ、前の人のやり方を見てから真似すれば、なんとなくいけます。

このブログで予習しているあなたは、もう完璧です!

自信ありすぎやろ。
そしてここで朗報!
私が体験した玉串奉献ですが、なんと令和6年(2024年)の天理教のルール改訂によって、”しなくていい”になったんだそう。
「しても、しなくていい」というなんとも自由な形式になってしまったため、今はそれぞれの教会に委ねられています。
念のため予習しておくと、当日どちらの形式でも焦らなくていいですね!
そしてなぜこんなルール改訂があったのか?
そもそも天理教の葬儀は、神道のやり方を参考にしてできたものらしく、今の形は、そこから少しずつ改訂して、いろんなものを省いてできたものなんですって。
もし玉串奉献が省略されている場合は、祭壇の前で「二礼→四拍手 →一拝→四拍手→ 一礼」を2回繰り返すだけでOKです!
花と、飴ちゃんと。笑顔の見送り
最後にお棺へお花をたむけるときも、みんな笑顔でした。
「おじいちゃん、これ好きだったよね」と好きだった花を入れたり——
「甘い物が好きすぎて糖尿病になったのに、私たちにこっそり飴ちゃんくれてたよね」「どこに隠してたんだろうね(笑)」と、祖父の好きだったお菓子を入れたり。
しんみりするどころか、思い出を持ち寄って、楽しく見送る。
悲しくないわけじゃない。
でも、「また、どこかで会いましょう」と思えるから、最後まであたたかい空気のまま、祖父を送り出すことができました。
葬儀のあとも続く「霊祭」——十日ごと、そして年祭
仏式に「四十九日」や「一周忌」があるように、天理教にも故人を偲ぶ儀式が続きます。
まず葬儀の当日に葬後霊祭(そうごれいさい)。そのあとは、亡くなってから十日ごとの霊祭(れいさい)が続いていきます。(うちの教会や文書では「葬後霊祭」と呼んでいます)
ですが、実際うちの教会や周りの教会ではそこまで細かくは行っていません。十日祭→五十日祭→一年祭→五年祭→十年祭→三十年祭→五十年祭の流れなんだそうです。
このうち五十日祭が、仏式の四十九日にあたる節目。忌明けとされ、故人の魂(霊璽=れいじ)を、ご先祖をまつる「祖霊舎(それいしゃ)」に移して、一緒におまつりします。
「出直し」で終わりではなく、そのあともずっと想い続ける。天理教の死生観が、ここにも表れているなと思います。
よくある質問(天理教の葬儀)
Q. 香典の表書きは何と書けばいい?
A.「御玉串料」「御榊料」「御霊前」でOK。「御仏前」はNGです。
Q. 数珠は必要?
A. 不要です。数珠は仏具なので、天理教の葬儀では使いません。
Q. 焼香はあるの?
A. ありません。代わりに玉串奉献(葉つきの枝を供える)を行います(※令和6年の改訂で省略される場合もあります)。
Q. お悔やみの言葉は何と言えばいい?
A.「心よりお悔やみ申し上げます」「哀悼の意を表します」を。「ご冥福」「成仏」などの仏教語は避けます。
Q. 拝礼の作法は?
A. 二礼 → 四拍手 → 一拝 → 四拍手 → 一礼。拍手は音を立ててOKです。
Q. 服装は普通の喪服でいい?
A. はい。仏式・神式と同じ喪服で大丈夫です。
Q. 五十日祭って何?
A. 仏式の四十九日にあたる節目の霊祭。忌明けとされます。
Q. 天理教の葬儀って、悲しくないの?
A. 悲しくないわけじゃないです。「生まれ変わり」の死生観から、「来世で会いましょう」的な言葉がよく交わされ、明るくあたたかい雰囲気になることも。でも、故人を想う気持ちはちゃんとあります。
まとめ:明るいけど、想いはある
天理教の葬儀は、仏教とはずいぶん違います。
焼香ではなく玉串奉献、数珠は使わない、香典は「御玉串料」、そして「ご冥福」は言わない。作法に戸惑うかもしれませんが、前の人を真似すれば大丈夫です。
そして何より印象的なのは、あの“空気の軽さ”。
体の終わりはあっても、命の終わりはない。また、どこかでようきに暮らしていく——そう信じられるから、天理教の人は笑顔で大切な人を見送ります。
分教会を守り続けた祖父の見送りは、まさにそんな、あたたかいお葬式でした。

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